被災活動(4月2日から4日)1/3 4月4日石巻編
石巻はちょっと違った。(渡波辺りの事を話しています。)
※石巻の方で気分を害しましたらごめんなさい。
残っている家屋が多い。家が残った被災者は泥の掻き出し、掃除と忙しく動き回っている。
http://www.youtube.com/watch?v=JdYabucHQYc
http://www.youtube.com/watch?v=JdYabucHQYc
大型店の裏側とか、津波が直接あたらなかった家屋が残っていたり。
ざっとだが、1/3ぐらいの世帯は残っていたような気がした。(間違っていたら申し訳ない。)
全日に見てきた志津川とは大きく違い、家屋が残っている。
津波の高さも、屋根がすっぽり被る所はなく、深いところで3mぐらい。
渡波(わたのは)駅周辺の家屋は腰ぐらいの浸水だった。その跡があった。
最初に渡波小学校の避難場所を訪ねた。定期的に待っているパック詰めのおにぎりと、その日は特別な鶏の唐揚げを持参したのだが、鶏の唐揚げなど震災発生の日から一度も口にしていないと言うことで、避難所の食糧管理係のお母さんはとても喜んでいた。というか、「これは、みんな喜びますよ。」と笑顔満点でした。
「今日の午前中に大宮のサッカークラブから大量の食料の差し入れがあり、だいぶ落ち着いた。」と。
昨日の大宮の荷物が偶然にも、俺が行った場所、石巻渡波に届いていました。
渡波小学校のグランドが米兵と自衛隊によって片付けが始まっていました。グランドの隅には彼らの野営のテントも。
渡波小学校の避難所も志津川の避難所もそうだったのですが、しっかりした組織が出来ているようなきがしました。
その中に入って何かをやるより、それ以外のことでやれることを見つけることが必要だと思いました。それは最後の方で書きます。
さて、渡波駅へ向かいました。
ここでは、露天バザースタイルで、昨日この場所で把握したニーズを反映した物資を配給します。
ティッシュ、トイレットペーパー、靴、防寒具、かみおむつ等々。
周辺の被災者はもう熟知してます。
必要なモノを必要なだけしか持って行きません。
被災者が本当に立派です。
我が県民の行動はガソリンスタンドでもスーパーでも情けなかったけど….
一時間もしないうちに運んだ物資は無くなりました。
渡すときには、「他に明日何かいるものはありませんか?」
合わせて聞き取りしました。
次の日には活かせたと思います。
その次の日ですか?これがまたおかしな話がありまして。後ほど。
周囲を回ってあるきました。
ゴミが多いんですよね。
被災地には物資物資と運ばれてきます。そのゴミを持ち帰ってはいないでしょう?
ものを食べれば排泄します。その排泄物は下水が壊れて水もなく流せません。
どうしますか?
わかりますよね。排泄したものは袋に入れて外にゴミとして積んでいるのです。
それがこの状況です。
物資を与えるのは、ほぼ足りています。
いまは、ゴミを排出して上げることが必要だと思います。
もう、臭ってきているんです。
まだ気温が低いから耐えられるようなもので、気温が暖かくなるのを想像すると恐ろしいです。
帰りの車で、上司に「次にこのゴミの撤去を行ってはどうか?」と提案しました。
「やってもやっても追っつかないからNG。」だそうです。
別に瓦礫を全てと入っていないんですよ。居住している家屋の周りのゴミだけを積み込んで持ってくればいいとおもうのです。
最上郡、各市町村パッカー車一台で計7台。
結構な量を一日に持ち帰れるはずです。
俺ならこれをすぐにやりたい。
http://www.youtube.com/watch?v=q8V6TzlwJVA
http://www.youtube.com/watch?v=q8V6TzlwJVA
最上広域市町村でやった、救援物資運搬支援活動は4月30日から一週間、昨日の5日をもって終わりました。
定期物資を必要としている渡波駅周辺の住民がまだいるのです。
信じられません。
支援活動という名の支援活動で、被災者のことなど考えていない。
何も知らない人は、きょうもその時間に待っていたことでしょう。
やっぱり情けない。
行政。
あと許せない。こいつら。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110406-00000006-maiall-soci