県民性
まあ、暖かいとかシャイであるとか、謙虚であるとか、山形県人の県民性について思うことは良いところは、まあそれなりに良い。
良いところなんて挙げたって仕方がないので悪いところにスポットを当ててみようかと。
まず!県警・道路交通課から聞いた話では「譲り合い」のマナーが東北で最低だという。
右折車に譲らなかったり、横断歩道で横断を待つ人に譲らなかったり。
片道2車線の道路で、右側(追い越し車線)をモタモタ走る人の話を前にしたかな?あれについては、そういう人の80%は老人もしくは運転に自信のない人で車線変更が苦手な人。っていうか車線変更が怖い人。
次に右折する場合は、最初に交差点に入ったときにすぐに右車線にはいってそのままか、空いているときに右折に入ってそのまま。
そういう人が多いからなんだね。っていうのは最近、叔母と話をしていて確信したのと、そういう人を追い越すときチラッと車をのぞき込むとハンドルは10時10分、直立不動、「あ~あ、こっちが肩こっちゃうよ」みたいな人が多い。
まあ、コレが県民性かはわからないが、前置きにしては話がずれすぎたな!(^_^)
さあて、この間酒の席でちょうど、モンテディオの動員の話になって、それ程好きでなかったモンテディオにだんだん、はまってきた方と話すことが出来た。
で、そこで県民性の話になって
「他人の失敗を失敗した後に、ほうら、見ろ私が思ってたとおり!」
と人の失敗を喜ぶ県民性があるという。
最初は、そんな性格の悪い人いっぱいいるの????って疑問に思ったけど話を聞いているうちに納得させられたんだ。
それは熱くならない安全性を自分がキープしてるんだってさ。
熱くなって、その応援チームが負けたりすると悔しいでしょ、さほど悔しくならないように中間的立場にいるのが楽なのを知っている。
思い切り好きになったり応援しちゃうと、負けたとき裏切られたときの悔しさと悲しみが倍増するのを恐れて結果、自然に中間層にいようとする。
そういう県民性なのだ。
そして、中間層にいれば
「ほうら!言ってた通り負けたでしょ?」とかいえるわけで。
思い切り応援して、思い切り敗れて悔し涙を流す喜びを知らない県民性なのだ。
まあ、人のせいにしたくないけど何かこういう県民性はあの「琴乃若」に育て上げられたんじゃないかなと。思い切り人のせいにしてみる。(琴乃若ごめん!)
千秋楽ぎりぎりで決まる勝ち越し負け越しの繰り返し。
おお!金星取ったかと思うと幕下ぐらいにこてっと負けたり。
十数年、応援してきたけど結局何もなかったみたいな。
大関?横綱?
期待するだけ無駄。 みたいな。
そういう雰囲気、俺は正直感じていたよ。それが悪く県民に浸透していったという仮想をしてみた。
さて、モンテディオ!2007年まではもしかしたら琴乃若と同じだったかもしれない。
でもね、今年はちょっと違うなって思うんだけど。
思うんだけどお!
普通のファン層や県民から見れば同じなんだよ。
「また、終盤で失速だべや?」
何人から聞いたか、この言葉。 いや、腹は立つけど言い返したりしない。
「そうかもなあ、でもね今年はちょっと違う気がするんだよ。昇格は終わって見なきゃわからないけど、違うサッカーしていると思うから、終盤戦来てみて。」
こんな感じで返すだけ。
でもね、県民性?じゃないかもしれないけど他人の挑戦を「ほうら!失敗した!思った通りだ!」そんな言葉、職場とか俺の周りで結構聞いたような気がするな。
そうそう!もっとあるんだよ。
夏の高校野球だって、「どうせ負ける」って思っている人多いでしょ?マスコミ(山新)だって惨敗でも【惜敗】
頭に来るぐらい悔しいきもちを和らげるための手段。逃げ!逃避!