被災活動(4月2日から4日)1/3 4月3日編
荷物を積んだトラックは朝8時に天童市を出発。
途中、菅生PAで仲間と待ち合わせて、12名でユアテックスタジアムへと向かいました。
ちょうど、ユアテックスタジアムに着いたら同時にアルディージャのバスも来ていた。オフィシャルバス一台と貨物トラック一台だったと思う。
ユアスタに集まった物資は仙台サポーターが分別。
必要な数を必要な場所、避難所に届けるシステム。
Needsを把握しないで、運んだところで迷惑になるどころかゴミになってしまうこともある。このシステムを確立したのは凄い。
ユアスタで分別された荷物を運ぶためにスタンバイ状態だった。
トラックへの積み込みが終わったところで、是非被災場所を見て欲しいと言うことでトラックに同行させて頂いた。
行き先は南三陸町「志津川」
被災前には若い頃から何度も行った場所である。
志津川高校まで。
志津川はもう全く、跡形もない感じで。復旧するなら全て一から。
そこにはもう何も無いでした。
原爆の跡地にたたずんだ体験など無いけど、これがそうなのかと思った。
周りは瓦礫の平原。
偶然残った鉄筋コンクリートの建物でさえ、壁が抜け鉄骨ばかり。
いや、その鉄骨などそのまま、残っているモノは少なく、折れて、曲がって陸地の奥深くまで流されている。
その津波の高さは、5階建てのビルをはるかに超え、ビルの屋上には車があった。
大きな巨人がなにかいたづらでもしたように。
あとは写真と動画でこの体験を綴りたいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=0Nf7iaVc3u0
私は次の日に、石巻の渡波駅(わたのは)に物資供給に行くことになるのだが、その場所場所での需要の差、被災者支援活動の種類の多さを感じることになる。
次のエントリーで書くが、結論から言うと
被災者宅が殆ど残っていないような志津川では、行方不明者の捜索も済み、瓦礫の山の撤去が進んでおり復興への勢いが見えているのに対して、石巻渡波(わたのは)周辺は、深いところで3mぐらいの津波による浸水。
無事な住民も多く、そこに生活拠点が残っている。
そういう人が多い。
被災の規模を客観的に比べたら、石巻より志津川だろう。
ただ、実際には石巻には生活が残っている、生活している被災者が多く、多くの支援を必要しているのではと感じた。